Faces - 1

001 The only one word - Song without words -

 ……言葉は空虚なもの。
 目には見えずただ、ひとのこころに残るにすぎない代物。
 そしてひとのこころを伝えるには、あまりにも頼りなくはかない代物。

 ……長い間、そう思っていた。そう信じていた。
 言葉にできない想いがあったから。言葉にしたくない想いが、あったから。
 それでも、伝えたいことがあった。言葉にできるかもしれない、そんな想いがあった。
 でも結局伝えることはできず、そして……気付かなかった。

 もう間に合わない。伝えることはできない。
 あいつには……二度と……。

002 Lament

(う……)
 最初に感じたのは鈍い痛みだった。
 その痛みが、長く重苦しいまどろみから彼を覚めさせた。
(なんだ……この痛みは……)
 ぼんやりと彼は思った。壁に這う蔦のように絡み付くような、焼け付くような胸の痛み。のみならず、ありとあらゆる苦痛が意識を取り戻した彼に襲いかかろうと待ち構えていた。
 その中で彼は重い両瞼をなんとかこじあけ、今自分が置かれている状況を把握しようとした。
「あ……」
 目の焦点は全く合わず、彼を眩暈の渦へと叩き込んだ。それでもどうにかまばたきを数回して焦点を合わせると、彼の視界にぼんやりと天井が見え始める。
 状況を把握しようとして、彼は少しでも動くと眩んでしまう視界を定かにしようとしながら目線を窓に移してみる。しかし部屋は薄暗く、窓という窓にカーテンが引かれており今が昼なのかそれとも夜なのか、それは分からない。
(ここは……一体……)
 ようやくおさまりかけた眩暈にほっとしながら、彼はもう一度天井を眺めた。
 天井の装飾は見事なものではあったが、決して新しいものではなかった。すなわちそれはここが古くからの由緒ある貴族の館だということを間接的に彼に教えていた。
 が、今の彼にはそこまで神経をまわす余裕はない。暗がりに慣れた目でそのままぼうっと天井を見つめる。
 同時に汗で額に張り付いた前髪をかきあげようと重くけだるい手をゆっくり額に持っていった、そのとき。
(………!)
 彼の中で「何か」がはじけた。
「……ッ!」
 はっきりと意識が戻ったその反動でとっさに跳ね起きようとした彼は、次の瞬間強烈な眩暈と胸の痛みに襲われることになる。先程の比ではない。普通の者だったらおそらくもう一度倒れ込んでしまっただろう。
 しかし、彼は目を瞑ると、激痛のために荒くなってしまった息を整えようと小さく短く呼吸を繰り返した。頬を幾筋もの汗が流れ、そのまま首筋を伝っていく。そうしてそれは痛みを堪えるために敷布を握り締めていた彼の手にぽたりぽたりと落ち続けた。
 眩暈は時間と共におさまっていきはしたが、胸の痛みはおさまらない。そしてこの抉られるような、火のような胸の痛みの正体をもう彼ははっきりと悟っていた。
(……オヴェリア……)
 彼の脳裏に一人の名前が浮かんだ。
(あいつは……。彼女は……)
 握り締めていた敷布をゆっくりと手放すと、そこだけが皺となり崩れずにそのままの形状を保っていた。
 何を見るでもなく彼はただ宙を見つめていた。彼が今見ているものはこの世になかった。

003 Unfaded Memories

 戦争終結後、初めての行幸。
 予定通りの日程を消化し、また様々な提案や要望が彼らに出される。彼もそして「彼女」も多忙な日々を送っていた……いや、送っていたはずだった。
 そんなある日、朝から彼女の姿が見えなかった。おりしもその日は彼女の誕生日で次の行幸先へと旅立つ日でもあったのだ。
 周囲の者に動揺を与えてはならないということを知らない彼女ではない。そのことを彼はよく知っていた。否、知っているつもりだったのかもしれない。今となってはそれすらも彼にはよく分からなかった。
『お前たちはここにいるように。私が探しに行く』
 にわかに騒ぎ出し始めた従者や護衛達のものの不安を抑えるために彼は言った。
『しかし、陛下御自ら……』
『心配は無用だ。彼女の行きそうな場所は分かっている』
『しかし……』
 なおも自分を気遣う声を彼は鋭い目線で制した。そしてそのまま手入れされたチョコボに飛び乗ると続けて言った。
『私に必要以上の心配は無用。それより出立の刻限も近い。皆にそう告げてくれ』
 従者が不安を抱えながらも頷くのを見てとり、彼はその場を離れた。
 胸に、今まで伝えなかった、伝えることのできなかった言葉を抱きながら。


『ここにいたのか、オヴェリア』
 半刻後、彼は城の教会跡へとやってきていた。本当は通り過ぎようとしていただけだったが、教会の瓦礫の間にたたずむ人影をみつけたために慌てて引き返したのだ。
 彼の声はおそらく、彼女にも聞こえていただろう、と彼は思う。しかし彼女は振り返ろうともせずじっとその場で彼に背中を向けていた。
『皆が探していたぞ。そろそろ出発する刻限だ』
 彼女の様子がおかしいということに、彼は気付いていなかった。
 綺麗に毛並みを整えられたチョコボから降りると、未だに振り向きもしない彼女の方へ彼は歩みよった。背に、小さな花束を隠し持って。
『ほら……』
 背中に隠してあった花束を出しつつ彼は彼女へ話しかける。
『今日はお前の誕生日だろう? だから……』
 彼が続きを言うことは叶わなかった。彼女が振り向いたのと自らの胸にずん、という重い衝撃が走ったのは同じだったように彼には思えた。
『オ……オヴェリア……?』
『そうやって……あなたも私を利用するのね!』
 彼女が血のついた懐剣を抜きながら叫んだ言葉の意味を、彼は最初理解できなかった。
 剣が彼の胸を貫いたときに散った花びらが彼自身の血の色と共に、妙に鮮やかに彼の目には映っていた。
 不思議と痛みを彼は感じなかった。どくどくと血の流れ出る傷口を抑えながら、戸惑いの表情を彼は彼女へと向けた……。


 そこまで思い出して、彼は急に頭を激しく振った。
 夢であってほしかった記憶は、だがあまりにも夢であるには鮮やかすぎた。
 彼女が言った言葉の意味を真正面から受け止めるには辛すぎた。
 そして、自分の取った行動を是認することは彼自身にもできなかった。
(あいつに……オヴェリアに、会わなければ)
 自身の心と同じくらい、重くけだるい身体をゆっくりと引きずるようにして彼は寝台から起き上がった。
 身体は長いこと動かしていなかったようにまるで自由にはならなかった。素足のまま立ち上がると床がうねるように足元をすくい、そのまま崩れていくような感覚に襲われる。
 それは、彼に「今は何も考えず休むとき」と誰かが語りかけていたせいかもしれない。しかし彼はそれを頑なに拒み、ゆっくりと戸口へ身体を向ける。一歩、足を前に出すたびに苦痛が彼に付きまとい、ふだんでは感じられぬ労力を彼に要したがそれすらも今の彼を留め置くことはできなかった。
「く……」
 胸の傷を抑えながら、それでも彼は駆り立てられるように進んだ。どうしても、彼女に今会わなければいけない、そんな気がしていたのだ。

004 Twilight in upper west

 王家直属の近衛騎士団に所属するルークス・コリエル・リムルヴェールは心身共に疲れきっていた。
 ここ数日のめまぐるしい状況変化が彼を疲労させていたが、しかしまだ彼の休息は程遠いということだけは彼自身にもよく分かっていた。
 とある部屋の前で番をしながら、彼は「事件」からもう何度となく考えていたことをまた考えはじめる。
(このままでよいのだろうか……)
 遠く続く稜線に今しがた沈んだばかりの夕日の残光がくっきりと映えている。それに続く空の色は天頂に近づくにつれ次第に、青とも黒ともつかない微妙な色合いを呈していた。
 そして眼下に広がるりんごの木々に咲く花は夕暮れ時の空と対照的なまでに白く、その風景全てが見る者に幻想ではないのかという錯覚を与えているのだった。
 廊下の窓から見える刻一刻と変化する夕暮れのそんな風景を、ルークスは目を細めながら眺めていた。
(そしてこれから……)
 もう何度も繰り返し考えていたことに再び思いを寄せたそのとき、重々しい音と共に彼の背後の扉が開いた。
「陛下!?」
 物音にぎょっとしてルークスが素早く振り向く。そこには扉に半ばもたれるような格好で現イヴァリース国王ディリータ・ハイラルが虚ろな瞳をルークスに向けていた。
 寝台から這い出るようにしてようやく部屋の外まで辿り着いたディリータの息は荒く血の気はほとんどひいており、その様子はまるで蝋人形のようだった。さらに苦しそうに抑えこむ胸元の傷は衣服にも赤い染みをつけはじめている。
「……オヴェ……リアは……」
 倒れこみそうになったディリータに慌てて手を差し伸べたルークスは、力なくかけられた王の、氷のように冷たくなっている手に驚きを隠せなかった。
「今はおやすみください、陛下」
 あまりのディリータの容体の悪さに不吉なものを覚えながらルークスは進言したが、彼はその前にディリータが自分に何を問うたのか、聞き取ることはできなかった。
 そのため掠れるような、ささやくようなディリータの問いはもう一度繰り返されることになる。
「オヴェリ……アは……?」
 のろのろと再び視線をルークスに合わせ、ディリータは尋ねた。本当は訊かなくても分かっていたことではあったが。
「……オヴェリア様は……」
「……」
 くちごもってしまったルークスから目線を逸らすと彼は、ルークスの腕を押しのけ再び何処かへ歩き去ろうとする。
「何処へ行かれるおつもりですか!」
 目の前の重傷の怪我人を押しとどめながらルークスは鋭く叫んだ。
「会わなければ……ならない」
「なりません! 今は御身のことだけお考えください!」
 ──ここで彼にまで逝かれてしまっては……せっかくおさまったはずの戦乱が再燃することになってしまう……。
 そんな打算的な考えもあることにはあったが、それより何よりこの若者の命の火は消してしまうにはルークスにとって惜しすぎた。そしてそれはまた、イヴァリースの民にとっても同様だっただろう。
 その想いからルークスは更に制止の言葉を彼にかけようとしたが、次の瞬間口をつぐんだ。あまりのディリータの気迫に気圧されたのだ。
「陛下……」
「お止めしても無駄のようですな」
 突然、長く続く廊下の先から男の声が聞こえた。思わずルークスも、そしてディリータも声のしたほうに目線を向けた。
 そこには一人の初老の、しかし頑健にして長身の男が立っていた。おそらくはこの館の主だろう。身につけているものもそれとはなしに貴族のものだと分かる。
「ここの、主……か?」
 なおも低いディリータの声に男は答えなかった。そのまま2人のもとへ歩み寄ると、半ばルークスに支えられた格好のディリータに跪く。
「会われますか」
 短く、ただそれだけ主人はディリータに訊いた。ディリータは彼の問いに小さく頷く。
「……頼む」
「分かりました」
「マーラット伯!?」
 ルークスの咎めるような言葉を遮りながら、主であるマーラット伯はディリータの言葉に静かに頷きかえしたのだった。