Faces - 3

008 Candle in the wind

 勿論、奇跡は起きなかった。
 つくり話の世界はつくり話にしかすぎず、現実は現実である。そんなことは彼にも分かっていた。
「……」
 唇をそっと離し、薄目を開けるとディリータはそのまま壁にもたれかかるようにその場に座り込んだ。
「いて……」
 それ以上立っていることは彼の今の身体には不可能に等しかったのである。
 壁のひんやりとした冷たさを感じながら、ディリータは棺をみつめた。

 大事なものはいつも、失くしてから気付くんだな、俺は。

 自嘲気味に彼は心の中で呟いた。
 今までどこかで自分を偽ってきたような気がする。どこかで自分を見失っていた気がする。
 しかしそれでも自分は走り続けなければならなかった。止まることは周囲が、そしてなにより自分が許さなかった。
 そしてこれからも走り続けることを彼に要求し続けるだろう……。
(俺はそして……何を手に入れたのか)
 ずっと悩んできた、考えてきたことがまた頭をよぎる。分かっていたつもりだったのに、答はまた迷宮に迷い込んだように彼には思えた。

 このまま、ひとりで生き抜いてそうして分かるようになるだろうか……。

 おぼろに輝く月を窓越しに見つめながら彼は思った。
 そっと、自分を優しくかすかにとりまいた風には気付かずに……。

009 From the bottom of my heart

 数日後。
 オヴェリアの死は未だイヴァリースに発表されないまま、ディリータ、そしてルークスや新たにやってきたピートもマーラット伯の邸にとどまっていた。オヴェリアの遺体もできうる限りの保存処理をして例の部屋に安置されていた。
 ピートは取り敢えずゼルテニアに待機していた護衛隊の兵士達にはそのまま待機するよう伝えてあった。彼らにはこの場所もことの真相も知らせられなかったが、それを不審に思う者も中にはいたであろう。しかし「陛下の御身が大事」というピートの言葉に一応納得している様子ではあった。
 ある意味、ここは絶好の隠れ場所ともいえるかもしれない。思いつきでマーラット伯を頼ったルークスとピートはそう思っていた。
 一方、ディリータはというと怪我のせいもあっただろうが、オヴェリアの亡骸に対面してからというもの、元来少ない口数がますます少なくなっていた。本当に必要なこと以外何も話さずじっと何かを考え込んでいるようである。一体何を考えているのか、他の者にうかがい知ることはできなかったが。
 彼の怪我自体は順調に回復してはいた。全快までは程遠いであろうがそれでも傷がかなりの深手だったことを考えると幸いなことだったのかもしれない。
 もっとも彼がそれを「よし」としていたかどうかまでは定かではないが……。


 満開だったりんごの花も初夏の陽光のもと、まもなく散ろうとしていた。
 部屋から抜け出したディリータはそんなりんごの木々のただ中にいた。適当に木を選びその下にもたれかかるように座る。時折白い花弁がくるくると弧を描きながら彼の膝の上に落ちた。
「ここにおられたのですか」
「……」
 どれくらいそのままでいたのだろうか、ディリータはマーラット伯の呼びかけで我にかえった。いつのまにきていたのだろう。
 ディリータが部屋を抜け出したことをとがめだてする様子もなく、伯も彼のとなりに非礼を詫びつつも腰を下ろした。
「マーラット伯……」
「なんでしょうか?」
 あくまで穏やかな微笑みを浮かべたままマーラット伯はディリータの呼びかけに応じる。その瞳にははっきりと年長者の余裕が感じられたがディリータはしかし、そんな伯を敢えて睨むように眺めながら口を開いた。
「一体、何を考えている?」
「何を、と言いますと?」
 伯はディリータの眼光鋭い視線をやんわりと受け止めた。自分とは対照的であろう伯の視線に促されるようにディリータは言葉を続けた。
「伯は今度のことの一部始終をあの二人から聞いているだろう。俺……私のことも、そしてオヴェリアのことも。それを表沙汰にしようとは思わないのか?」
「褒賞目当てにでも見えませんか」
「褒賞目当てだったらむしろ他の貴族にでも突き出した方が早かろう」

 こともなげに言ったディリータのそれは確かに真実である。
 というのも未だ政治情勢は不安定で、前にも述べたとおり、この頃ようやく少しずつ安定してきていたのだが、再び動乱の時期に戻ることは知謀と兵力の持ち主が現れればたやすいことであっただろう。
 しかし、もはやそのときではないことは誰もが知っていた。流した血は多く、人々は疲弊しきっていた。戦争より平和、混乱より安定を、そして武器より生きるための糧を、平民も貴族や騎士達もディリータに求めていたのである。
 ただ、そんな中にディリータに反逆の矢を引こうとしているものがいてもおかしくはない、ということを彼は言っているのだった。

「……どうなのだ?」
 黙してただ自分を眺めている伯にもう一度ディリータは訊いた。
「褒賞目当てというのは冗談ですが……。実を言うと陛下、私は最初からあなたにかけていた」
「かけて、いた?」
 予想外の言葉だったのか、思わず眉をひそめたディリータに頷いてみせてマーラット伯は続ける。
「そう、かけていました。あなたにかけていたというよりあなたのような存在が歴史の表舞台に登場するのを私は待っていたのですよ」
「……」
「貴族でありながら私は貴族という概念が嫌いでした。平民と貴族が対立し、力を持つ貴族が平民をねじ伏せる。『貴族』という「血」にこだわり表面上の「家柄」にこだわり……。もとは民も我々も同じ人間なのだということを愚かにも忘れてしまっている、形だけの貴族が私は大嫌いでした」
 伯に言われディリータは遠い昔のように思える出来事を思い出していた。
 あれはいつのことだっただろう。はっきり覚えているはずなのにどこか曖昧になってしまっている悲しい出来事。彼の前からの疑問と目の前で起きた現実が火花のように激しくぶつかりあった、あの雪の日の出来事。
 ひとつだけ確かなのはディリータにとって、行方の知れない親友にとってあの日が全ての始まりだったということだった。
「……そして息子も私と同じ考えだった」
 ディリータがどこか遠い目をしているのを見やりながら、そっと伯は付け加えた。
「伯に、息子がいるのか?」
 ややもすれば懐旧の念にとらわれてしまいそうな自己の意識を半ば無理やりに引き戻そうとディリータは訊きかえした。
「……ええ、いました」
「いました? ということは」
 てっきり獅子戦争によって戦死でもしたかととっさに思ったディリータだったが。
「陛下も通われていたガリランド士官アカデミーの卒業生なのですよ。おそらく陛下の数代上の首席が息子のバーソロミューです。もう……在籍していたことすらも抹消されているかもしれませんが……」
「数代上? ……確か……」
 思い出そうとしてディリータは思い出せなかった。否、そこだけぽっかりと穴のように何もなかった。
 ちなみに次席は覚えていた。アグリアス・オークス。オーボンヌの修道院にてオヴェリアを護衛していたが、その後『異端者』ラムザと運命を共にしたというホーリーナイトである。
「何故……抹消など」
「異端者審判」
 更に問い掛けてきたディリータに伯は事実だけを静かに伝えた。おそらく数歩ほど離れてしまえば聞こえはしなかっただろう。
 そしてその短く告げた事実はまだ癒えぬ傷を再度抉る刃のようにディリータの胸に突き刺さった。
「異端……?」
 ディリータはその言葉に奇妙に馴染んでいた。幼馴染であり親友でもあった──今、ディリータが「彼」のことをそう呼べるかどうかは分からなかったが、できればそう呼びたいと願っている──ラムザ・ベオルブが獅子戦争の最中『異端者』宣告されていたからである。
 戦争が終わり、彼とその妹の行方は杳として知れなかった。ラムザの妹、アルマの葬儀は密かに行われたということを聞きはしたが、遺体はどこにも見付からなかったために墓碑がオーボンヌに残っているだけである。ラムザ自身は「異端者」という存在故に墓碑すら立てられなかったが。
 しかしそれ故にディリータは彼らが死んだとは思えなかったのだった。
「せがれは私などよりずっと行動的な人間でした。しかし風の流れを読み切るにはまだ少し若かったのかもしれません。……アカデミー卒業後ひとりでこの社会への疑問とそして教会への不信を投げかけているところを異端審査官に……」


 伯はそこで言葉を切った。話しすぎたと思ったのである。
 彼としたことがディリータが今では王家の人間であることを忘れていたのだった。
「……話しすぎましたな」
「いや……」
 中途半端に否定をしておいてディリータは伯の言葉を結論づけた。
「つまり、伯は息子の仇討ちを私にとってほしかった、そう言うわけか?」
 短絡的な結論かもしれないが……とその後に慌ててディリータは付け加えたが、意外に伯はあっさりとそれを認めた。
「……そうかもしれませんな、結局のところ」
「しかし、この一件に関わった理由にしては妙だな。私が口封じのためにあの二人ともども伯を謀反の嫌疑で捕えたら、伯はどうする?」
「お好きなようになさればよい。しかし陛下にとってそうして得るものは何かおありなのですか?」
 そう言い、伯はディリータをまっすぐに見据えた。そうしてまたディリータも伯を見据える。
 穏やかな陽光の中、その木の下だけがこの空気に溶け込まずに違和感をかもしだしていた。その異様なまでの緊迫感に気付いたのか、つい今しがたまで梢でさえずっていた鳥たちは歌うのをやめ、代わりに木々を渡る風の音が二人の耳についた。
「……その科白は私にとって……辛いな」
 やがて、ディリータが伯から視線を逸らして呟いた。一瞬だけ淋しげな微笑が彼の顔に浮かび、そしてそれはすぐに消えた。
「心に穴ができてしまったように感じるときは……」
 黙り込んでしまったディリータに語るでもなくマーラット伯は話しはじめる。
「なくしたものは本当に大事な、大切なものだったということです。人でも、ものでも。それに気付いたとき人は孤独感にさいなまれる」
「私が孤独だというのか?」
「そう感じておいでではないのですか?」
 伯の問いにディリータは答えなかった。木の幹を支えに危なっかしく立ち上がるとまだ座ったままの伯を見下ろす。
「……孤独と感じても止まることはできない」
 既にその表情は統治者然としていることにマーラット伯は気付いた。少なくとも恋人の亡骸に対面したあの日の夜の表情とは何かが違っていた。
 その変化の理由を人は孤独によるものというかもしれない。罪の意識によるものというかも、もしくは全てを利用し尽くし頂点に立ってしまった者の傲慢さからというかもしれない。
「陛下……」
 そのままりんご園を歩み去っていくディリータの後ろ姿を座ったまま伯は見送っていた。
 しかし、伯の考えはそのいずれとも違っていた。彼にはディリータのその表情は、再び出発点に立つことを決意したためであろうと思われたのだった。
 全ての迷いや悩みを共にし、それでも彼は走ることを決意したのだ。そう伯は思った。
「いつか……全てに気付くときが来るでしょう。ただ……今はまだそのときではない。そして……」
 彼と共にこの場を離れた、ささやくような風の音を伯は確かに聞いていた。
 彼を守るように取り巻く風の音。
 やさしく慈愛に満ちた空気の流れに彼が気付くのはしかし、まだ先のことだろう。
「そして……あなたは決して孤独ではないのですよ、陛下……」
 落ちてきたりんごの花をそっと手の平にのせながら伯は呟いた……。
POSTSCIPT : 19971106 / 20160316

ED直後のお話ということで(書いたのも直後)、あの衝撃に頭が混乱しつつ書いた話です。ラムザもですが、ディリータは生き残ったのかどうなのか当時非常に議論がかわされた記憶があります。懐かしい…。