Salute 2

第二章 旅路の果て

 懐かしい、と言ってよいのか。
 だが、いつかまた来たいとは思っていた。
 この国に吹く風のようにすべてから解き放たれる、そんなことができるようになったら。
 ……それこそ、御伽噺だと小さくあの時は笑ったが。
 
 やがて二匹の翼竜を借り入れたらしい少女に適当に頷くと、ディリータは店の主から旅装に必要な一式を受け取った。三人分の鞍と鐙、二匹分の手綱。その他、細々とした装備と翼竜用の地図。装備のどれもによく手入れがしてあり、上等なことを見ると、この店は上客向けなのだろう。
 何故こんな店に少女が物怖じもせずにやって来れるのか。その理由は探ろうと思えばできたが、ディリータには興味がなかった。
 理由があれば、彼女は自分から言い出すだろう。あるいは、自然と分かる時が来るだろう。そう思うが故に。
 乗れるの?と訊ねるラムザには「それなりに」と返し、セレスタと一緒に翼竜へ装具を付けるように言った。
 竜は二匹。この国はまったくの初めてであるラムザとセレスタがともに片方の竜に乗り、残った竜の方に彼は乗ることにした。じっと見つめてくる竜の鼻面を撫でてやると、すべてを了解したという風情で竜は頭を垂れた。
「大きなチョコボだって思えば後は同じなの。ラムザさん、チョコボは乗ったことあるよね?」
「それはもう……っと、セレスタ、こんな感じかい? ……チョコボは数え切れないほど乗ったけど、黒チョコボも空は滑空するくらいだったしなあ……」
「どれどれ……。あれ、ディリータ……さんはもう準備できたの?」
 大きな竜越しにセレスタが覗き込んでくる。何故かまだ「さん付け」が苦手そうな彼女にディリータは頷いた。
「ここの竜は落ち着いているみたいだからな。ラムザ、そんなに怖がっていると竜も怯えるぞ」
「と言っても……加減が分からないんだよ、ディリータ。……まだ緩かったか」
 鞍や鐙の付け具合をセレスタに確認してもらっていたラムザだったが、彼が締めた装具を一回外すと、セレスタは力いっぱいといった感じで装具を締め直した。
「そうそう。お嬢さんが正しいな、それくらい締めないと落っこちるぞ」
「……?」
「ここのご主人が言うには、『きっちりがっつり締めないと、空飛んだときに装具が取れて落ちるよ』って」
「それは大変だ」
 シルフィの言葉で話してきた店の主をセレスタが意訳し、ラムザが目を丸くする。主の言葉には「きっちり」も「がっつり」も入っていなかったが、と思いながらディリータは確認のまなざしで問うてきた友人に、そのとおりだと素知らぬ顔で頷いた。
 姿勢を低くした竜に乗り、手綱を握る。合図をすると、すっかり心得た竜が少しずつ宙に舞った。
 もう片方の竜では小さな歓声が上がっている。その声に、ディリータは少し笑った。
 やがて二匹の竜は店の屋根より高いところまで舞い上がり、見上げる店の主もどんどん小さくなっていった。
 平屋の店の屋根。数軒離れたところにあった少し高い建物。街の中心に聳える交易の記念碑。
 そういったものより竜はずっと高いところに昇っていく。まだ柔らかい陽の光を楽しむように、目に見えるすべてのものを愛おしむように、ゆっくりと。
 活気ある市場。先程立ち寄った手続き所。自分達が乗っていた船が停泊している港まで、否、もっと向こうの海岸線まで次第に見渡せるようになっていく。
 空気が澄んでいく。風の向きをはっきりと感じる。
 ──あの日、知った感覚と同じだとディリータは思った。
 変わっていない、と。
 懐かしい、と。
 少女と友の行く先に竜を泳がせながら、そう思った。  
 
 あれはもう、十年よりも前──。

§

 丘に登り、空を見る。吹き渡るのは、あくまでも乾いた風。
 色を失いはじめた草原を眺め、そのところどころに広がる麦畑をも眺めた。
 吹き渡るのは、水の匂いがしない風。
 その風に、己が故郷から遠く離れているところにいるのだと男は思い至った。
 吹き渡るのは、海にも雨にも晒されない風。
 その風に、男は己が国を想った。
 借り受けた翼竜を丘に育つ木に繋ぎ、首筋を数度撫でる。大人しい性分らしいその不思議な生き物は、彼の所作に目を瞬かせたが、やがて静かにその翼を休めた。
 そうして彼は改めて空を見やる。
 透き通った空色に、幾匹かの翼竜の姿。その光景にはけして馴染めなかったが、見るたびに心は僅かに弾む。どこか懐かしい部分がひょっこりと心の内に浮かんだようで、彼は小さく笑んだ。
 翼竜に戯れるように空を舞うのは、鳥達。
 青、灰、茶、暗緑、そして、白。鳥達も翼竜に舞い、風に遊ぶ。
 その下では収穫期の忙しさで民達が農作業に精を出している──真に牧歌的な風景。
 風に麦穂が揺れ、草原がなびく。まるで、海の如く。
 草原の向こうに見える丘に隠れるようにして僅かにその姿を見せているのは、この国の王都。柔らかな陽光に城の尖塔が輝いて見えるさまは、彼の国の王が言うように、宝石でできた花のようにも見える。
 この国を訪なった彼を、王は笑みながら迎えた。
『我が国は、小国。見るべきものもありませんが、何か感ずるところがあれば幸いです』
 王の言葉を、はじめ彼は皮肉と受け取った。神秘の存在を抱え、穏やかに富む国の生み出した余裕だと解釈したからだ。事実それは正しく、故にこそ彼はこの国を訪ったのだが。
 富める国、シルフィ。
 南東を気高く美しい山脈に、北西を海に置いたこの国は小さく慎ましくはあっても、穏やかに栄える国としてその名が知られている。地形が天然の要塞と化し、他国に攻め込まれた歴史は僅か。そして、たとえ攻め込まれたとしても、彼らには翼竜という心強い友がいた。
 ──翼で侵略を止めたと伝えられています。
 もはや伝承でしか語られないことですよ、と王はまた笑む。笑み、彼は来訪者に自分の翼竜を見せたのだった。
 王は政務の合間を縫って異国人である彼に様々なものを見せ、話した。
 国の歴史、気候、産業。宗教というものは特になく、人々は自然に感謝するのだということ。翼竜との関係についても、ごく簡単にではあったが、王は話して聞かせた。
 そうした末に、王は彼に翼竜との「付き合い方」を教えた。

 透き通った秋の光を浴び、彼は草原に寝転んでいた。
 心地よい風に吹かれ、まどろむように空を眺める。吹き渡るのは、水の音のしない風。
 風の音か、現の音か、子供達のはしゃぎ声が風に乗って彼の耳にも届く。秋の麦を刈り取る鎌の音。束ねられた麦のざわめきも聞こえるようで、彼は苦く笑んだ。
 ──遠く離れた他国でようやく民の音に出会うとは。
 己の治める国からは未だ聞こえない類の音が、風に乗って彼の耳に届く。そうして彼は己が国を思う。
 戦に荒れた故郷に吹くのは、冬雨の風。
 両手指に足りるほどの時を経ても地は緩やかにしか癒えず、民の声のかわりに聞こえるのは地の下を蠢く者達が交わす背信の囁き。
 故に、傷付き荒れ果てた地を癒すその前に彼にはやるべきことがあった。自らの足元を固め、転覆を狙う輩に付け入る隙を与えない。地や人が癒えようとも再び戦となればそれらはすべて無駄となる。
 泣くのは己ではなく、玉座を狙う輩でもなく、未だ姿の見えぬ名もなき者達。かつて己と同じ立場だった無力な者達こそが戦となれば真っ先に犠牲となる。
 ──そして。否、それよりも前に。
 起き上がり、彼は草を振り払った。
 戦となれば。その思考の先を探す。考えるまでもなく浮かぶのは、ひとつの存在。
 先の戦において自身の手を汚さず蠢いた者。人でありながら人ならぬ力に手を伸ばした存在。俗に囁き、闇に媚び、力を欲した存在──教会は今もその姿を保ったまま、己の国に在り続けている。
 戦時と同様、教会は隣人の顔をして神の理を説いた。何も知らぬ心弱き者には説法に聞き入らせ、事実と真実を垣間見たごく僅かな者達には刃を向けた。
 刃を向けられた者達は様々な反応を見せた。密かに国を離れた者。逃げ惑い、教会の手に落ちた者。自らを捨てた者。地に潜った者。立ち向かい敗れた者。──自ら進み出、淡々と己の理を通した者。
 ──その多くは、彼らに直接手を下す役目を負うた己を憎んだはずだ。
 そうも思う。だが、弁明するつもりはその時も今もない。慣習のままに、教会の望むままに死神の鎌を下ろした己が弁明を口にしたとしても、それは茶番というもの。
 そうして歴史の闇を見た者はひとり、またひとりと消えていく。最後に残るのは、おそらく己のみ。
 故に、傷つき荒れ果てた地を癒すその前に己にはやるべきことがあった。
 歴史の闇を見た者として、国が闇に覆われぬよう手を尽くすことが残された者の役目と、墓標に誓った。
 豊かさに想いを馳せるのはそれからでも、よかった。

「よく見えるでしょう?」
 空気を分けるその音とともに降ってきた声に、彼は振り返った。見上げた空中にはこの国の王がやはり穏やかな顔をして彼を見下ろしている。
 王の言に彼は頷く。
「……話や書では見聞していましたが、実際はやはり違う」
「それはそうです。私も数冊、シルフィのことを書いた書を読みましたが、書ではこの国はもっと御伽噺のように描かれていた」
 茶化すように王は言ったが、しかし、柔らかなまなざしの奥に光る芯を彼は捉えた。
 ──それは、己も少なからず共有する部分だ。
 視線を元の景色に戻しながら彼は思う。
 御伽噺のように穏やかな国、シルフィ。風とともに住まう人々。確かにそれは事実ではあるが、それだけが事実なのではなく、この国は長い歴史の上にそんな印象を積み上げてきたのだろう。
 王の翼竜と彼の翼竜が互いに翼を交わす。枯草を踏む音に、彼は背後に王が立ったことを知った。
「御伽噺は滲み出る「何か」を持ちはしない」
 乾いた風に声が流れる。
 声を流し、風は彼らの間を通り抜け、過ぎ去っていく。そうして眼前に広がる草原を、彼方に見える城を、街を、里を、山を巡り、いつかまたこの地へと。
 国に広がっていた不穏な澱みが落ち着きをみせはじめた頃、彼が思い描いたのはこの国だった。豊かさを願う民の声を聞きたいと願うことができるようになった頃に、耳にしたのは。
 はじめは、書。次に、諸国を彷徨う旅人の言葉。御伽噺のようだと語る人々の言を得、来訪を決意した。
 御伽噺の幻想に囚われたわけではない。むしろ、御伽噺と旅人に言わせる「その国」の真の姿が見たかった。
 未だ見えぬ、未だ聞こえぬ……己の国には未だ足りぬ「豊かさ」の鍵がこの国には、ある。かりそめにも、己の国とシルフィが同じ空を仰いでいるのならば。
 シルフィが空想の国でないならば。
 事実、彼が目にした現実のシルフィは、御伽噺とは遠かった。確かに国は潤い、人々の表情は素朴だが晴れやかではある。しかし、そこにはやはり豊かさを支える人々の知恵があった。
 ──与えられたものでは、人はあんな表情はしない。
 使いこまれた風車を見上げ、思った。水路に陽光がきらめくさまに、思った。
 王の言葉は、己が見たものの結論だった。神秘の存在を抱えながら、この国はどこまでも人が支えている。風とともに生き、揺らめきながら日々を送る──、そうした果てに積み重ねられた「時」の財産が今のシルフィの姿といえるのだろう。
 「時」と「知恵」を積み重ねたシルフィは、幻想の国などではなく。
「……御伽噺であれば、私はこの国を訪いなどはしなかった」
 やがて呟かれた彼の言に、王は頷いた。
「滲み出る「何か」こそを求めてきたのでしょう?」
 王の言に、今度は彼が頷く。ですが、と王は続け、彼は王を仰ぎ見た。
「ですが、シルフィとあなたの国──イヴァリースは違う。私はイヴァリースを訪れたことはありませんが、シルフィの風はイヴァリースにはないと言える」
 吹き渡る乾いた風。水の匂いのない、それ。
 豊穣の大地。
 荒野と化した大地。
 ──やまぬ風。やまぬ雨。
 彼は二度、頷いた。シルフィに求めたのは、直截な手本としての存在では確かになかったのだから。
 陽は僅かに傾き、麦穂は黄金に輝く。幾重にも広がる穂波を揺らすのは、やはりシルフィの風。
 王の翼竜が顔を上げ、風に翼を広げる。その首筋を慈しむように撫ぜる王の髪も服も、風に靡いた。
 その背に、ディリータ・ハイラルは声を投げる。
「もしも」
 王は撫ぜる手を止めた。僅かに横顔を見せ、異国の王が言葉を継ぐのを待つ。
 風の──御伽とも幻想ともいわれる──国の王に、ディリータは問うた。
「この豊かなシルフィを、欲したいと私が願ったら?」
「それはありえないでしょう」
 吹いた風に空を望み始めた竜をそれでも静かに宥め、王は豊かに笑む。見上げるディリータの双眸をそうしてひたと見つめ返した。
「ありえないと?」
「そう。それこそ幻想の出来事です」
 断定する物言いに、ディリータは口端を釣り上げた。
 ──確かにありえない。
 己の言葉には確かに現実めいたものは何もなく、それは目の前の王もよく知り得ているのだろう。言葉遊びのようなそれは、そうしてやはり風に溶けていく。
 シルフィは御伽の国などではなかった。だが、仮にシルフィが他者の手に落ちたとすれば、この国は瞬く間に幻想の国となり、消えうせるだろう。
 「時」を積み重ねた「知恵」の国。故にこそ意義があった。
 異国の者がこの国で得ることのできるものは、長い年月から生み出された知恵の片鱗。だが、それで十分といえた。否、それこそがもっとも大切な意味合いを持つ。
「そして、幻想であるからこそ王は私を迎え入れた」
 陽はますます傾き、風にも宵の冷たさが混じり始める。麦畑で働いていた者達も我が家に戻る頃合い。
 それらを眺めながら呟いた彼の言葉に、王は答を繰り出さなかった。やはりただ笑み、そうして翼竜に跨る。再び空に戻れるのか、と王の翼竜は嬉しそうに鳴いた。
「ただ──」
「ただ?」
 去り際、竜の翼を羽ばたかせながら王は彼に言葉を残す。
「我が国は風とともに生きる国。吹き渡る風は常に変わり続け、けして人にただ優しいわけではない。むしろ厳しいといえる。……だからこそこの国はこうして在るのです」
 王を乗せた竜は空高く舞い上がる。翳った陽を背にし、宵の風を翼に受けて王と竜は去っていった。

 雲を風に流された空に、星がひとつふたつ、瞬きはじめる。
 大人しく仮の主を待っていた翼竜に目をやると、彼は小さく笑みを浮かべた。立ち上がり、帰ろうと竜に告げる。言を受け、竜もまた小さく鳴いた。
 竜に跨り、空へと。風に遊ぶ鳥達が彼と竜に愉快げに付き従った。鳥の色は青、灰、茶、暗緑、そして、白。
 竜の背に乗ることなど、もはやない。遠く山の端をかすかに彩る宵の色に彼は思う。
 水の匂いのしない風に身を任せることも。
 空に近いところに佇むことも。それが己の自然だと感じた。
 農作業を終え、心地よい疲れとともに家路につく民達の姿が眼下に見える。風の音に紛れ、彼らの穏やかな歌声は、空上の彼の耳にも確かに届いた。

§

 シルフィとは違う、だが、やはり豊穣と平和を己が国へと願った日々は確かにあった。
 国の成り立ち方が違う、だからこそ成し得たこともあった。
 そうした時の末に。
 壊れかけた国はどうにか立ち直り、「引き取り手」も現れた。託すに値する相手か否か見定める時間と、豊穣を願った日々はおそらくは平行の時間軸にあったのだろう。
 今、眼下に広がる草原を見て、心は何も痛まない。軋まない。
 それは自分が知っているからだ、とディリータは手綱を操りながらひとり呟いた。あるいは、確認するように。
 斜め先を見やると、少女がラムザに手綱を譲って何かを歌っている。明るく楽しげに歌う彼女は、この秋の空によく似合っていた。
「……」
 今、眼下に広がる草原を見て、心は何も痛まない。吹き渡る風が自分の中をすり抜け、そうしてどこかへと消えていく。それは軋みなど生まず、ただ爽やかで、ほんの少し郷愁を誘うだけだ。
 ……だから少女も。
 結局は、とディリータは思う。
 自分と同じように、彼女もこの国で風に吹かれたからこそ。……そうして別の「彼女」も、あるいは。