Salute 2

第六章 風読士との邂逅

 ヴェント通りのラクタ・ボージョ、ヴェント通りのラクタ・ボージョ。
 呟きながら、ラムザは足取りも軽く路地を歩く。
 石畳は行き交う者で磨り減り、とても歩きやすい。小路用の荷車もあるようで、石を平らかにするのに一役買っているのだろうと思われた。
 路地からさらに小路へと足を進めてみる。その後ろから子供達がはしゃぎながら走り去り、やがて彼らの声は家々の向こうから聞こえてきた。
 ファミナはとても大きな街だった。イヴァリースやオルダリーアにも大きな都市はあるが、趣きはだいぶ違う。
 高い家並みに続く繁華街。ところどころにある緑地。共用の井戸は清潔で、水路では料理人がのんびりと野菜を洗っている。
 何より、こんな小路をうろついていても、暗い雰囲気がない。物盗りの気配などまるでないのだ。無論、市や繁華街に足を運べばそういった輩のひとりやふたりはいるだろうが、少なくともこうした住宅街の小路にはいなそうだった。
 だから、子供達も安心して遊びまわるのだろう。
 もうひとつ路地を曲がってみると、そこは飲食店が数多く軒を並べる通りになっていた。試しに通りの名を読んでみようとするが、読めるはずもない。
 昼食を楽しむ人々でどの店もごった返している。中には、店の中だけでは客が入りきらないのか、通りにまで椅子と卓を出しているところも多い。
「そういえば」
 まだ昼をとっていなかった。呟き、ラムザは腹を押さえた。意識した瞬間、腹は空腹を訴えだす。
 通りを巡りながら簡単に店の品定めをし、ラムザはさほど混んでいない、さりとて空いてもいない店を選んで扉を開けた。
 店の看板にはフィドルにも似た楽器を持った猫が描かれていた。
 
 現れた異国人に「おや」というような表情をした店の主人まで行くと、ラムザはディリータやセレスタに教わったとおり「この店の一番のおすすめを」とシルフィの言葉で言った。多少棒読みだが、それは仕方がないと割り切る。
 主人はひとつ瞬きをすると、「分かった」と言うように大きく頷いた。そうしてラムザを席まで案内し、振り返りざまにもうひとつ問う。
 その問いにもラムザは心当たりがあった。昼食とあわせて頼む飲み物を訊いているのだ。
 故に棒読みなままラムザはもうひとつ単語を返した。「ミルクを」と言う。ただそれだけでいい。
 ──良かったはずなのだが。
「……」
 なおも訊ねてくる主人にラムザは内心困った。……この先の流れは二人から聞いていなかったから、主人が何と言っているのかさっぱり分からない。
 適当に任せてしまうにも言葉が通じない。もう少し真面目にシルフィの言葉を学ぶべきだったかと考えてみても、もはやそれは過去の話である。過去は変えられない道理で。
 さて困ったとラムザが呟いたとき、ふと卓の横に人が立った。間近な気配にラムザは何気なく見上げ──そうして息を呑んだ。
「牛と山羊と羊、どの乳にするか。そう訊ねているんですよ」
 卓の傍らの人物──穏やかに笑む黒髪の青年は、流暢な畏国の言葉でそうラムザに語った。

「さっきはどうもありがとう。ええと──」
「ウィルと呼んで下さい。僕の方はラムザさんとお呼びすればよろしいですか?」
「呼び捨てでも構わないけれどね。ありがとう、ウィル。そしてよろしく」
 小半刻後。
 昼食を終えたラムザは新鮮な山羊のミルクを飲み干し、目の前の青年に礼を言った。青年ウィルは嬉しそうに笑うと、軽く会釈した。
 本当は卓に着いてすぐにでも話し込みたかったのだが、頼んだ食事があっという間に出てきたとあっては先にそちらをやっつけなければならなかった。その間ウィルの方は付き合うように軽食を頼み、それもやはりあっという間に出てきて、故に、ふたりともこの半刻の間は終始無言だった。
 似ているな、とラムザはウィルを眺めながら思う。
 記憶は褪せているが、こうして思い出す分には何ら支障はない。そして、青年は実際彼に──オーランによく似ていた。
 髪の色も、瞳の色も。何より雰囲気が。冷静かつ軽妙という不思議な天秤を持っていたあの雰囲気こそが。
 懐かしさが一気に込み上げる。ディリータと再会した時にはそれほど強く懐かしさを感じたわけではなかったのに、何故か今は懐かしい。懐かしく、また、切ない。
 ウィルに懐かしさを覚えても、ウィルは無論オーランその人ではない。そして、ディリータは今も生きている。生きて、今ではともに旅までしている。だからこそ切ないのだ。
 オーラン・デュライという人間はもうこの世に存在しない。幾年も前に、彼は死んだ。自ら纏め上げた文書──内容の多くには自分が彼に語ったものも含まれている──を異端の罪に問われ、火の向こうへと消えた。二度と会うことはできない。
 すべては過去。もう二度と戻らない過去。
 会えないと思うが故に。何もできなかったと思うが故に。
 懐かしさは切なさに。そして、追憶と寂寥に。己が無力を悔やむ気持ちに。胸の奥で燻り続けていた想いは、青年の前で雫となって落ちた。
「ラムザさん」
「……ああ、ごめん。ちょっと懐かしくてね。本当に……」
 卓に幾つか沁みをつくり、ラムザは目を瞬かせた。眦に残った涙を拭い、照れたように笑う。
 黙って見守っていたウィルはそんなラムザに僅かに微笑んだ。
「嬉しいです。僕を見てそんなふうに懐かしむ人は、母を除いてはいませんでしたから」
「バ……母君はお元気かい?」
「ええ、とても。今は離れて暮らしていますが、便りはよく届きます。元気ですよ」
 それからウィルはラムザに様々なことを話した。
 幼い頃のイヴァリースでの記憶。育った海沿いの村。父が最後に自分へ書き遺してくれた分厚い本。望遠鏡。飼い鳥が毎年畏国へ飛んでいたこと。本を通じて父から学んだ占星術。
 今は城で風読みをしながら、占星と風読みをあわせた学問に取り組んでいるのだとウィルは語った。
「風がこの国の要ですから、風読みはとても重要なんです。畏国のように決まった季節に雨季と乾季が来るわけではなく、すべてが風次第なので」
 大まかには決まっているが、それでも風の強弱で季節の移り変わりは容易にずれ込む。ちょうど海と船のようなものだ。
「今年の冬はもうすぐ来るからといって、同行した人に竜を勧められたよ」
「そうですね。風読み達の間ではあと七日もすれば雪がやって来るだろうという専らの噂です」
 話は行きつ戻りつ世間話のように進む。互いの興味の赴くままに話は尽きなかった。
 店の主人から注文した茶を受け取りながら、やがてウィルが思い出したように嘆息した。
「それにしても少し残念でした。あなた達は二人でやって来るかと思っていたのですが」
 ラムザは笑った。
「すみません、ラムザさん」
「いいよ、気にしてないから。セレスタから話を聞いてやって来たんだろう?」
「ええ」
 シルフィに住まう少女が畏国の言葉を操り、そして獅子戦争の仔細までも把握している。その事実の源泉を求めれば、目の前の青年の家族と繋がりがあったが故と考えるのが自然だと考えていた。それを確認するように訊ねたラムザに、ウィルは人好きのする笑みで頷く。
「ディリータは逃げないから、いずれ会えるだろう、大丈夫。……ところで、セレスタは小さい頃城に住んでいたって聞いたけど……」
 その一方で彼女は「お世話になった人に」畏国の言葉や事情を教わったとも言っていた。まあ、ずっと城に住んでいたとは言っていなかったし、ウィルや彼の母とともに海辺の村にずっと住んでいたというわけでもないのだろう。
 途切れた科白の意を汲み取るように、ウィルは彼の父よりも少し切れ長な瞳を瞬いた。
「セレスタは小さい頃から時々、僕達が住んでいる村に陛下と一緒に避暑に来ていたんです。その時に遊んだ縁で彼女を預かったりもしました。だから僕とは幼なじみということになるでしょうか」
「陛下……シルフィ王かい?」
「ええ」
 ウィルは頷く。
「彼女は南の小国ルリアが滅んだ際、王族の中で唯一生き残った末の姫……。シルフィに逃げ延び、ルフィル陛下の養女に迎えられたのです」