BALMY BREEZE

 心地よい風が頬を撫で、過ぎ去っていく。
 雲が時折陽光をさえぎり、微妙な陰影を生み出す。
 遠く微かに聞こえるのは、鳶の鳴き声だろうか。
 そして同じくらい遠く聞こえるのは、階下に響く人々の賑やかな声。

 ゆっくりと時間は過ぎていく。

 持っていたカップをソーサーに戻し、カミューはしばらくその恩恵に預かろうと目を閉じた。こんな日はいまだ戦時中であることなど忘れてしまう。
 あまりにも穏やかな空気。
 人が全てその幸せに浸ることの出来る日はそう遠くはない。
 ……遠くないことを願いたい。
「……」
 カミューは苦笑して目を開けた。己の考えがあまりにも他人事のような気がして。
 ──マイクロトフだったらこう言うだろうな。
 ほんの上目遣いで空を見やりながら、カミューは思った。
『我々がそれを取り戻すのだろう』
 彼はそう信じて疑わない。しかし、カミューはそこまで強く思うことが出来なかった。もしかしたら、平和という言葉自体が自分には分かっていないのでは、と思うことすらある。
 それでも。
 こんなうららかな日は、穏やかに時を過ごせる日は多い方がいいに決まっている。
 そんなふうに思い、カミューは再びカップに口をつけた。


 いずれにせよ、それは戦闘もない晴れた休日の昼下がりのこと。


「あ、カミューさんだ」
 背後から自分の名を呼ばれ、カミューは振り返った。テラスの入り口にまだ年若いリーダーとその義姉の姿がある。
「ヒューイ殿、ナナミ殿」
 そのまま彼らが自分の方へまっすぐ向かってくるのを見て、カミューは立ち上がった。ほとんど条件反射である。
「カミューさん、ここにいたんだね」
 カミューに席を勧められ、ヒューイは多少戸惑いながらも席に着いた。
 同じように椅子を引かれ、ナナミも座る。一連の動作に気が付いたのか、ウェイターがこちらに走って来て、ご注文はと告げた。
「私、ナナミアイスがいいな。ヒューイもそうしなよ」
「…………。僕はミルクでいいや」
 かしこまりました、とウェイターが下がる。えー、と頬を膨らませるナナミの様子にヒューイが小声で再び席に着いたカミューに囁く。
「だってアイスに塩が入ってるんですよ? 塩ですよ塩」
「……それは」
 カミューも思わず苦笑した。この本拠地でナナミがとんでもない味オンチだということを知らない者などいない。
 何かフォローの言葉でも、と思った時にそのナナミが話題を変えた。
「それにしてもカミューさんいないの残念だったね」
「何かありましたか?」
 いつもの微笑を浮かべながら、カミューは頭を巡らせた。今日は何か重要な会議でもあっただろうか。それなら自分が忘れることはないし、もし万が一あったとしてもマイクロトフが教えてくれるだろう。
 大体、残念だったとは?
「アンネリーさん達がね、ステージでたくさん曲を演奏してくれたんだよ。ね、ナナミ?」
 運ばれてきたお冷やを一気に飲み干し、ヒューイが言った。
「そう。それで、即席コンサートになったの。いつもはステージに来ない人まで来ててものすごく賑わったんだから! リクエストにものってくれたし」
「なるほど。そういうことでしたか」
「ほんとたくさん来てたよね……。いつもいるクライブさんはいいとして、フリックさんにビクトールさん」
 ヒューイが数え始めた。
「フリックさんを追っかけてきたニナちゃんもいたよ。ゲンゲンにガボチャ、リィナさんアイリさん、ハンフリーさんとフッチ君、アップルちゃんにシーナさん、テレーズさんにひっぱられてきたシンさん、ゲオルグのおじさん。あとは……珍しいところでは」
「シュウさんがいたじゃない。端っこの方で腕組みして聞いてた」
「ほう」
 それは珍しい。あの冷静な正軍師までステージに足を運んでいたとは。
「とにかくたくさんいたよね。マイクロトフさんも少しだけいたかな。だけどすぐにいなくなっちゃった。そういえば今日は一緒にいないんですか? あ、ありがとうございます」
 ナナミアイスとミルクが運ばれてきた。いただきまーす、と早速スプーンをつける義姉の様子をヒューイが横目で見ている。
「私達も四六時中一緒にいるわけではありませんよ。お互い所用で忙しい時もありますし、マイクロトフは何より訓練が好きですからね。一緒にいないとおかしいですか?」
「うん」
 姉弟は揃って即座に頷いた。一度納めていたカミューの苦笑がまた広がる。
「なんとなく……漫才しないビクトールさんとフリックさん、フリックさんを追っかけないニナさんくらい珍しい。あ、あとナナミの料理がちゃんと食べられるくらい」
「何よそれ」
「……分かりやすい形容、ありがとうございます」
 そういえば、とカミューは思いだした。
 今日このテラスにいるだけでかなりの者におひとりですか、と聞かれたことを。
 ひとりでいる時は大抵聞かれることではあったが、この幼い姉弟にも聞かれる程であったとは。
 可笑しくもあり、嬉しくもあるカミューだった。
「……まったく。あとで覚えててよヒューイ。でね、そうそう。アンネリーさん達の曲聞きながらこれは誰の曲かなーて当てはめたの」
「誰の曲?」
 聞いたカミューにヒューイがフォローした。
「大体の勘なんですけどね。聞いたイメージとタイトルからこれは誰にぴったりな曲だなー、ていうのをナナミと一緒に当てはめてったんです。今ここでタイトルだけ言っても分かり難いと思うんですけど」
「面白そうですね。よろしければお聞かせ願えますか?」
 アンネリー達の曲ならばカミューも知っている。今度また聞く時に思い起こすのもいいだろう。
「じゃ、じゃあ。分からないところがあったらあとで確認してみてね」
「……誰に言ってるの、ヒューイ」
「え。あ、まあ」
 適当に誤魔化すとヒューイは続けた。一方、多分この先姉弟で喋り倒すんだろうなと思ったカミューは完全に聞く側にまわっている。
「まずナナミはやっぱ『Beautiful Morning』だろ? すごーく朝に強そうな。さあ今日も一日頑張るぞーてオーラが毎日出てるもん」
「ヒューイがねぼすけなのよ。でもこれは私もそう思った。フリックさん言ってたね、『曲を聞くまでナナミのテーマかと思ってた』って。でも朝に強い人の曲だとしたらマイクロトフさんもぴったりかも。ね、カミューさん?」
「え、ええまぁ」
 この曲ならばカミューも知っている。しかしマイクロトフにしてはちょっとさわやかすぎないか? 内心でカミューは首を傾げた。
「ビッキーやゲンゲン、ガボチャ、メグちゃんやミリーちゃん、マ行ズは『ある晴れた日に』かな」
「すごいひとくくりの仕方だねナナミ……」
「カスミさん、モンドさん、サスケ君……ロッカクの里の人々は『忍者隠れ里』」
「……そのまんまだよナナミ」
「ビクトールさんは『働かざるもの食うべからず』。……砦、懐かしいね。もうないんだよね。結構楽しかったな……」
 ちょっと沈んだナナミの声にヒューイもうんうん、と頷いている。
「ちゃんと働けばたくさんごはんくれたよ」
「ヒューイ……そうじゃなくてね。まぁいいや。フリックさんは?」
「フリックさんは『救出』!!」
「わあっ」
 ナナミの頭にいきなりおんぶオバケのようにのしかかったのはニナ。その重みでナナミはテーブルに頭をしこたま打ちつけた。
「ニ、ニナちゃん。ここにフリックさんいないよ?」
「嗚呼……フリックさま。あなたが私を助けてくれた時にはこの曲が頭の中で鳴り響き、次第にそれは結婚協奏曲に変わっていきました……」
 まったく聞いていない。
「……」
「あなたのその眼差し、少し険しい表情…だけど笑うと子供のような……以下略……て。フリックさんどーこー?」
 我に帰るとニナはあっというまにどこかへ行ってしまった。
「ニナちゃん……役者さんになった方がいいかも」
「そうだね……。最近ますます磨きがかかったよね」
 溜息まじりに呟きあう姉弟。カミューも呆気にとられてしまっていた。
「何と言うか……。情熱的な方ですね」
 ものは言いようである。

「でも確かにフリックさんは『救出』かな。処刑場で助けてくれた時かっこよかったもんね」
 気を取り直してヒューイが続ける。
「だけど、ミューズでビクトールさんが助けてくれた時もかっこよかったよ?」
 すっかりアイスを食べ終えてしまったナナミはびっくりパフェを追加注文していた。届いたそれはバケツのような容器に入った生クリームとアイスとチョコシロップと果物各種。見ているだけで胸焼けがする。
「そだね……じゃあ腐れ縁のテーマ」
「うん」
「本当に面白いくらいぴたりと当てはまりますね」
 カミューの言葉にそう?とふたりは笑った。よっぽどこの手の企画が好きなのらしい。ナナミがしゃもじスプーンを片手に続けた。
「問題はね。『平和の賛歌』」
「グレッグミンスター城で聞いた曲ですか?」
「そう。ああ、そういえばカミューさんも一緒だったよね。……ナナミも僕もあの曲大好きなんだけど、やっぱり僕らの曲じゃないんだ」
 フリックさんやハンフリーさん、ビクトールさん。ルックにビッキー、シーナさん、アップル……とにかくトランの皆の曲だよね。曖昧に微笑んでヒューイは言った。
 その表情を見てカミューはこの少年も自分と同じなのだな、と思う。具体的な平和のイメージが掴めていないのだ。ずっと戦争の危険に中途半端にさらされてきた者の表情。
 もっと言ってしまえば、昔微かに感じた空気を懐かしむような。
 そんな表情を目の前の少年はしていた。
「しかし、それならばリューイ殿の曲と言ってもよいのでは?」
 自らの思いを引き離すように口を開いたカミューに少年は首を振った。
 リューイ、とは先の解放戦争でトランの英雄と呼ばれた少年である。解放軍勝利直後から数年の間行方不明になっていたが、ひょんなことから知り合い、今では時折この同盟軍本拠地まで遊びに来ることもある。
 というより、何かあるたびに迎えに行く、といった方が正解なのだが。
「リューイさんは他の曲があるから」
「そうですか?」
「カミューさんはどんな曲かなあ」
 バケツパフェもといびっくりパフェを半分ほど食べ終えたナナミが唸った。
「もうそんなに食べたの、ナナミ」
 パフェが登場してからまだ十分ほどしか経っていない。
「うん」
 もちろんこれで夕食を残すことなど絶対にしないナナミである。
「……。ま、いいや。カミューさん……考えたんだけどいまいちぴったり来るのがなくて」
 再度パフェと格闘しはじめたナナミを放ってヒューイはまた真剣に悩みはじめた。
「うー。あれかな……これかな……」
「もうちょっと時間が経たないと私やマイクロトフは分からないかもしれませんね」
 軍議に参加するような表情で悩み込むリーダーにカミューはいつものように助け船を出した。その横でそうだ、とナナミが顔を上げる。
「カミューさんのイメージ、こんなのはどうかな?」
「何?」
「お聞かせ願えれば」
 多少なりとも身を乗り出してきたふたりにナナミはえへん、と胸を張ると紋章よろしくしゃもじを上げ、宣言した。
「ゴージャス・スカーレティシア!」

 美貌の青年騎士が珍しいことに椅子から転げ落ちた。

「カ……カミューさん?」
「す、すいませんが夕方の軍議がありますので私はこれで……」
 よろよろと立ち上がるカミューに思わずヒューイが手助けする。相当ショックだったらしく目は虚ろで生気がない。
 それでも紳士らしくヒューイに感謝の意を述べ、ふたりに一礼するとカミューはその場を立ち去っていった。
 しかし、なんとなく足取りがふらついて危なっかしい。
「わ、私……変なこと言ったかな?」
 しゃもじをくわえたままナナミが呟く。
「言った。カミューさん涙目だったよ?」
 自分も少々涙目になりながらヒューイはナナミを睨んだ。この義姉は味だけじゃなく時には音もピカレスクロマンなのかもしれない。
「そ、そうかな……」
「そうだよ! もうちょっとましな曲思い付いてもいいじゃないか……かわいそうにカミューさん……」
 ──合掌。
 頭をくしゃくしゃとかきまわしながらヒューイは思った。
 ──今日もナナミの犠牲者が出てしまった……。


 そんな若きリーダーの心中とは裏腹に、穏やかな微風は徐々に夕暮れの冷たさに包まれていった。
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気の毒なカミューさんの巻、でした。が、彼の言動を目の当たりにした時、脳裏をゴージャス・スカーレティシアが過ぎていったのは本当の話です。ピカレスクロマンは自分ですね…。

ところで2主であるヒューイと1主のリューイではヒューイのほうが断然明るかったり。ナナミの件とかを経ればそれがどうなるかわかりませんが、それでもやっぱりリューイよりは明るいのかなあと思っています。ちなみにリューイの曲とは、「グレミオ特製シチュー」と「遠い空」。どちらも好きです。