THE SKY IS

「──そうか」
 かみしめるように呟いた傍らの親友に、彼は頷いた。
 そうして、明け方の空を見上げた──。

sunshine is.

 賑やかな声が耳に心地よく語りかける。いつもと変わらないその光景に、それでも彼はふと足を止めた。
 自分の名を耳にしたような気がしたのだ。
 僅かばかり視線を動かしてみる。それだけで声の主達は簡単に分かった。芝生に座る少女達。ナナミにニナ、ミリー、メグ、テンガアール。中庭が風変わりな貴族達の語らいの場であるとすれば、この芝生は彼女達のものだった。
 同盟軍の中でも年若き彼女達は、時には一心に何かを語り合い、そしてまた時には笑い転げている。その様子に人々は──もちろん、彼自身も含めて──心に暖かいものを得るのだ。
 穏やかに陽射しが降り注ぎ、少女達の影が芝生に落ちる。その中にとびきり長い影を見つけ、おや、と彼は笑った。
 彼女たちと共に芝生に佇むのは、この場ではあまり見慣れない男。場というよりは、少女達との組み合わせが、というべきか。ともあれ、少し不思議なこの光景に行き交う人の誰もが目を向け、くすりと笑って通り過ぎていく。
 長い影の主を彼はよく知っていた。自分とは何もかもが対照的で、それ故になくてはならない人物──、元青騎士団団長・マイクロトフ。
 何やら自分の名前が出ていたようだが、と思い返し、彼は柱に寄った。少し耳を澄ますと、会話の内容が聞こえる。弾むような声と、僅かに苦手意識を滲ませた声。無論、後者がマイクロトフのものだ。
「……ですから、俺も知らないのです」
 親友の言葉に、「嘘だあ」と可愛らしい抗議の声が上がる。
「だって、マイクロトフさんは青騎士団の団長さんで、カミューさんの一番の親友なんでしょ? だったら知ってるはずよ」
 いつもはフリックを追いかけているはずのニナがメモを手に確信をこめて言うと、少女達はそうだそうだと頷いた。
「騎士団の人達に聞いても誰も知らないって言うし」
「カミューさんに聞くのはなんだか悪いしね」
「ね、マイクロトフさん。誰にも言わないから教えて? このままじゃ夜も眠れないよ!」
 矢継ぎ早の質問がマイクロトフを襲う。親友が気迫に押されて一歩後退するのを横目で見つつ、彼──元赤騎士団団長・カミュー──は僅かに首を傾げた。
 少女達の懸案事は何か、自分の秘密らしい。
 しかも、マイクロトフも知らないような。
 無二の親友が嘘をつくことに長けていないのは自分がよく知っていると、カミューは思っている。嘘に弱く、生真面目で単純で熱血漢。むしろ、そんな男だからこそ好きなのだが。そうも思う。
 カミューは柱の影から出ると、やわらかい芝生に足を踏み入れた。少し気配を消し、静かに歩を進める。芝生に座る少女達&親友は誰も気付いていない。
「すみません。……しかし、そのようなことはやはり本人に聞くのがいいのでは? 俺からも聞いてみますが」
「何をだい?」
 生真面目な後姿に声を投げかけると、いかつい肩がびくっと揺れる。数人の少女が振り向き、驚いたようなまなざしでカミューを見つめた。
 笑顔をもってカミューは彼女達に挨拶した。そうして、同様にマイクロトフにも笑もうと思ったのだったが、振り向いた親友の少々情けない顔に笑みは自然に苦笑に変わる。
「カミュー……聞いていたのか?」
「少し前からね。通りすがりに名前が聞こえたものだから。何か、私に聞きたいことがあるのですか?」
 科白の後半は少女達に向けられたものだった。だが。
「そ、それは」
「えーと、あー……メグちゃん! メグちゃん話しなよ!」
「なんで私にふるの!」
 少女達は顔を赤くし、互いを小突いた。カミュー自身は頓着しないことであるが、女性に優しくかつ礼儀正しくかつ美青年で優雅で背が高くて以下略な彼は、少女達にとって憧れの存在である。故に、話しかけにくかったりもする。特に、聞きにくいことであれば。
「……じゃ、私が聞くわ。いいかな、カミューさん」
「答えられることであれば、何なりと」
 一歩膝をずいと前に進め、ニナがカミューを見上げる。他の少女達に比べると若干平静かつ神妙な顔で──彼女の本命は別にいるのだ──メモ帳を取り、訊ねた。
「あのね、カミューさんのマント、「しんくのマント」っていうのに何で紫色なの?」
「──はい?」
 ニナの言葉に、カミューはよろりと傾いだ。

 それから、小半刻。芝生には、長身の青年ふたりの他に人影はなかった。
 カミューがよろけた後、『紫なのに「真紅」という名前はおかしい』という主張を彼女達は展開し、美形の赤騎士は面食らいつつもそういうことかと納得した。ふと隣を見やると、マイクロトフもまた不思議そうな顔でかぶりを振ってみせる。
 ──マイクロトフにも教えてなかったか、そういえば。このマントの由来を。
 綺麗な紫色をしたマントの由来。その由来はいつしか赤騎士団を率いる者が伝え、受け継いでいくものとなっている。だが、別に隠すべき類のことではない。今まで面と向かって聞く者がいなかっただけのことだ。
 それでも、親友にはてっきり話したつもりだったのだが。
 苦笑し、カミューは少女達に向き直った。そうして、先の赤騎士団長から継いだ話をすべく口を開きかけた、その時──。

「機会を逸してしまったかな?」
 カミューは少女達のいなくなった芝生を見渡して、くす、と笑った。
 ハイ・ヨーがまた新しいデザートを開発したらしい。カミューの科白を遮り、少女の心を奪ったのは、ふれてまわっていた軍主である少年だった。
 甘い物に少女が弱いのはどこの世界でも同じこと。色めきたった彼女達は顔を見合わせ、浮き足立った。そうして、カミューが笑顔で促したのをきっかけに慌てて立ち去っていった。
「……また別の機会がすぐに訪れるだろう。相当に熱心だった」
 生真面目な表情を少し緩ませ、傍らの青騎士が言う。カミューもそれに頷いた。
「そうだね。……マイクロトフは今聞くかい?」
「いや。俺も一緒でいい。それまでは楽しみにしていよう」
穏やかな陽光。遠くに、少年少女達の歓声が聞こえる。
何よりも大切な、失いたくないものだ。
「では。そのように」
多少おどけてみせて、カミューは再度頷いた。

 そして、この話題はそれきりとなった。

alpenglow is.

 ──何故か、そんなことを思い出していた。
 
 夜明けの静寂がこの戦場を包み込む。マイクロトフはぐるりと辺りを見渡すと、ゆっくりと白い息を吐いた。
 動く者は自軍の他にはいない。終盤の戦局をさらに有利にするための戦いは、同盟軍の圧勝に終わった。
 伝令を呼び、陣地へ戦況を知らせに走らせる。頷き、すぐさま踵を返して馬へと駆け寄る伝令の姿は、仄かな闇に紛れて消えていった。
視線を空に転じると、闇色は少しずつ青みを増している。東の山の端で瞬いていた星々は、仄かに射し始めた陽光に消されかけていた。
戦いの最中に口腔を切ったか、それとも大地に転がる屍の匂いか、舌には血の味が残って消えない。
「……」
 ──あの日々は、もう戻ってこないのだ。
 懐かしい記憶は、戦闘の最中、前触れもなく唐突によみがえった。
 他愛もない会話。幼い者達の笑顔。ささやかな約束。穏やかな陽射し。かりそめでありながら、ずっと続けばいいと願った日々。戦が終わることを多くの者が夢見た日々。
 あれから時は過ぎ去り、戦は終わろうとしている。それ故に──そう、それ故に──思い出したのかもしれない。思い、彼は苦笑した。
 あの約束から間もなくして、少女達の顔から笑みが消えた。戦が激しさを増し、傷付き倒れていく人々を目の当たりにした。死地へ赴く兵士達を見送り、叶うことのない生還を願った。そして、大切な友人を失った。弔うことも許されず、彼女達は笑みを消した。
 戦いは終わろうとしていた。多くのものを失い、己の中の何かをも変えて。
 勝利の予感に心は高揚するでもなく、痛みすら覚える。懐かしい記憶は痛みを引き起こし、それはじくじくと胸に疼いた。
 忘れぬための痛みだ──。
 なおも空を見上げたまま、マイクロトフは思った。戦によって得るものなど何もない。剣を取り、戦うのは守るべきもののため。それを忘れぬための。
 そして、守れなかったその事実こそを。
 星はもう殆ど消えかかって見えない。明星だけが煌々と薄紫の空に輝いている。
「陽が昇るね」
 薄闇の向こう、よく知っている気配にマイクロトフは振り返った。見慣れた人影はやや疲れた足取りでマイクロトフの隣に立つと、そんな彼の肩をぽん、と叩いてみせる。
「カミュー」
「……終わったね。そして、終わる」
 独白めいた言葉を、カミューは余韻を断ち切るように断定の形で閉じた。
 マイクロトフは頷いた。頷くよりほかなかった。
 足元には屍。陽が高く昇れば、眼下には踏み荒らされた大地が広がることだろう。最後に傷付いたのは同盟の地ではなく、皇国のそれ。
 友の言葉を肯定し、己の予感を肯定するすべてのものがその場に転がっていた。


 夜明けの静寂。
 たなびく雲は刻々とその形を変え、暁色に染まっていく。素通りしていく風がかすかに耳に囁いた。
「赤騎士団の団長が付けるマントの色は、その昔、名のとおり真紅だったそうだよ」
 カミューは思い出すように呟いた。
 先程までの述懐を繋げるような偶然の科白に、青騎士の青年は僅かに驚いた。驚き、傍らに立った親友を見据える。赤騎士の青年は遠く静かなまなざしで空を見上げていた。
 ──彼もまた思い出したのだろうか。
 懐かしい記憶。かりそめの平和。
 視線に気付き、カミューもまたマイクロトフを見た。ひっそりと微笑み、そうして再び夜明けの空を見上げる。
 科白は白い吐息の後に続けられた。
「何代か前のことだけれどね。長年の常のように、マチルダとハイランドで小競り合いが起きた時のことだ。ハイランドの軍勢と対峙したのは、赤騎士団。初めは勢いに押され苦戦を強いられていたが、何とか国境付近まで追い返すことができた。──だが」
 そこでカミューは一旦言葉を切った。追随するように風がやみ、静けさばかりがその場に漂った。
 きっかけとなった、あの穏やかでにぎやかな日々をふと懐かしむように。今、累々と横たわる物言わぬ骸に祈りを捧げるように。
「──だが、最後には敗走した。ハイランドの奇襲に手も足も出ず──どうしても我々騎士は正攻法で臨もうとするからね──敗れた。そうして、敗走の途中に当時の騎士団長が見上げたのが、この空だ」
 夜の闇を溶かし、星をかき消し、陽が再び天を巡り始める頃合い。静寂に彩られた夜明けの空色は、ほのかに紫めいた赤。
 屈辱を忘れぬようにと、時の騎士団長はこの空色をマントへと留めおいた。それこそがこのマントの由来だった。
「夜明けの、空色」
 マイクロトフは言葉を探した。だが言葉は何も見つからず、口について出たのは繰り返しの単語のみ。それでも彼はかみしめるようにその言葉を数度、繰り返し呟いた。
 そして、その続きを想う。
 自分はこの空色に何を思うだろうか。かつての騎士団長が想いを込めたように、己もまた夜明けの空を見上げるたびに幾度となく今日という日を思い出すことだろう。
 終戦の象徴として。懐かしく痛む傷として。そして。
 この夜明けの空と、友のマントの色に。
「では、俺は誓いを」
「マイクロトフ」
 カミューの目が僅かに見開かれる。そんなカミューにマイクロトフは笑ってみせ、続けた。
「今日の記憶を。そして今日に連なるすべての記憶……それを忘れぬために。俺が剣をとり、戦うのは守るべきもののためだということを」
 守れなかった事実をも忘れはしない。そうして二度と繰り返さぬよう誓うのだ。明日という未来のために。
「……そうだね。この空は思い出させてくれるだろう」
 カミューは頷き、同じくかみしめるように呟いた。
 山の端はいよいよ白々と輝き、くっきりと影を落とし始める。夜の闇を溶かし、星をかき消し、空を静かに染め上げて陽は一日の始まりを告げた。

 再び気まぐれに吹き始めた風が、笑い声にも似た囁きを二人の耳に残し、過ぎ去っていった。
POSTSCRIPT : 20011028

ゲスト原稿のサルベージであります。お題は「カミューさんのマントはどう見ても紫なのに何故にしんくのマント?」というもので、そのとおりなお話となってしまいました。本当はカミューさんの趣味なのだと思うのですが…どうでしょうか。